世界が反転しない 「取り残された子供」(第三者視点)















「えーと…、あとはこれとこれを、っと」

 体格の立派な男が部屋の中でゴソゴソと何かをやっていた。

 床には目をつむり、うつむいて座っている金髪の少年。

 だがこれが人間はないことは一目見れば分かる。首の後ろに刺さったコード。上下しない胸、呼吸をしていない証拠だ。

 これはヴォーカロイドという持主の望むように歌う機械だ。

 何体も種類が存在し、その内の一体をこの家の主の男が購入して今まさに起動させようとしていた。


「これで、よしっと。さあ、目を覚ませ」


 スイッチを入れられ、ピクリッと少年の体が震えると、ゆっくりと瞼が開いて顔をあげた。
 そして男の気配を認識して、そちらの方を見上げる。
「おはよう」
 男がニッと笑って言うと、ヴォーカロイドの少年はにっこりと笑い返し。
「おはようございます。マスター」
「…なんかATMのアナウンスと喋ってるみたいだな」
「問題でしたか?」
「あーだめだめ。見た目がこれで、この口調はもったいなさ過ぎる。よし、決めた! 歌だけじゃなく、喋りもやるぞ、いいな!」
「早速、調教をするんですか?」
「………こりゃ予想してたより難しそうだな」

 男と、ヴォーカロイドレンの出会いは、こんな感じであった。




***




「マスター、これは?」

「ん? っ! あーあー、それは!!」

 レンが家にやってきてから、数週間。
 元々悪戯っ子という性格の設定がされているレンは、見る間に単調ATMアナウンスから悪戯っ子になっていった。おかげでいつも家の中は騒がしい。
 簡単な罠を作ってはマスターである男をひっかけようとして見えみえの嘘をついたり(最初こそはだが、だんだん上手になってきている)、物を取って追いかけっこしたり、落書きしたり。
 だがそんなことばかりするかと言ったら、そんなことはない。
 ヴォーカロイドは、持主の望むよう歌うことが目的に作られたものだ、歌う時や喋るときなどの調教のときは一転して真面目に取り組むし、役に立ちたいからと家事の手伝いまでやると言い出す。

「……」
「マスター?」

 レンが悪戯をしたり、手伝いをしたり、甘えたりすると、マスターの男は暗い表情を見せることが度々ある。
「な、なんでもない…」
 そう言って慌てて作り笑いをして、誤魔化す。


 レンは、どうしてマスターがそんな辛そうな顔をするのか純粋に気になった。

 けれど彼が喋ってくれるとは思えなかった。


 そんなある日、部屋を掃除していて、何かが転がり落ちてきたので拾うと、それは写真だった。




 今のマスターより幾分若いマスターと、知らない女の人と、小さい子供(推定3歳)。




 写真の日付によると、11年前のものだ。


 これがマスターの家族だというのは、一目見れば分かった。だって子供の顔立ちがどことなくマスターに似ているからだ。




 しばらく写真を見つめていたレンは、マスターの気配が近づいてくるのを感じて慌てて写真をもとあった場所に戻した。


 気になったけれど、レンはマスターに聞けずにいた。

 彼の家族がどうなったのか。何があったのか…を。




 そうすれば、マスターにあんな辛そうな顔をさせないですむ方法を考えたいと思うのに…。




***




 レンが家にやってきてさらに数ヶ月後、その日は世間で言うクリスマスだったけれど、マスターは家にいた。
 だけどクリスマスケーキや、それらしい料理も用意した。
「レン。そんなにはしゃがなくても、クリスマスは逃げないぞ?」
「ええー? だってさぁ。マスターと初めてのクリスマスなんだもん」
「…そうか」
 はしゃぐレンの姿に苦笑したマスターが、レンの頭をクシャクシャと撫でた。レンはくすぐったそうに笑う。

 あっ…また。

 レンは、気配だけでマスターがまた辛そうに笑ったのに気づいた。

「マスター…」
「ん? ああ、そうだそうだ、早く食べよう。料理が冷めるからな」
「…うん」

 気まずい雰囲気のまま、食卓につく。


「……クリスマスだっていうのに、辛気臭い話はしたくなかったんだが。でもいつか話さなきゃならないとは覚悟してたんだ」

 隠していたわけじゃないんだ。そう言って苦笑するマスターは、家族のことをレンに話した。




 今から11年ほど前に、二人とも事故で亡くなってしまったことを。




「…よし、暗くなった話題を変えよう。レン、何か欲しいものは?」
「へ? 用意してるんじゃなくって?」
「いやなんというか…俺ってカミさんにもよく言われたけど、そういうセンスがなさ過ぎるからっていうのと、仕事が忙しかったからな。明日半休取れるだけ仕事は終わらせてきたから、今日聞いて一緒に買いに行こうと思って。何がいい?」
「…えっと……あのさ…」
「何でもいいぞ」
「えっと…、マスターのジャンバーください」
「……はい?」
「あのすっごい模様が削れちゃった、黒と灰色のやつ」
 そのジャンバーを、何故かレンは気に入っていて、引っ張り出しては包まっているのである。
「あれでいいのか? 確かにおまえあれが気に入ってたみたいだけど。あれ、もう10年くらい前の…」
「あれがいい!」
「そ…そこまで? いいのか? レンが着たらブカブカだぞ? 袖も余るし肩は落ちるし」
「あれがいいんだったら、いい!」
「分かった分かった。あんなのでよければあげるよ」
「やった!」

 手をあげて喜び、早速そのジャンバーを取りに行ったレンの姿に、マスターは苦笑した。


 それ以後、レンは自分の体には大き過ぎるジャンバーに包まって寝るようになった(それ以前からもそうしていることがあったが)。きちんと畳んで、それはそれは大事にして。


「死んだ坊主も…なんでか俺のジャンバーがお気に入りで。よく被って寝てから、涎でベタベタにされたな」


 それを聞いたレンは、何故かムッとした。




***




 そんなある日、マスターに連れられて外出する日があった。

 その時、マスターの幼馴染のサエダという男に出会い、レンは紹介された。

 その時相手が見せた表情を、レンはよく覚えている。

 目を見開いて、ああ…っと小さく声を漏らして目を伏せたのを。何かから目を背けるように。

「…おい」
「あ、すまんすまん」

 慌てて取り繕っても遅い。マスターにじと〜と睨まれたサエダは、悪びれもなく笑って肩をすくめて見せた。レンは首を傾げているしかなかった。




 マスターが自販機に行っている間、レンはサエダと話をした。

「あの〜、さっきどうしてあんな顔をしたんですか?」
「あ? あ〜…それはな…。しっかし本当にロボットとは思えないないな、おまえ」
「ヴォーカロイドは、様々な経験を歌うことに生かせるように設計されていますんで、人間に限りなく近い感覚を再現されてます」
「そりゃ…また。辛いとか思うか?」
「それは…、マスターが辛いと、俺も辛いです…」
「……なるほど」
「話が逸れてますけど?」
「んぁ? ああ。…あいつの家族のことは聞いているか?」
「聞いています。11年前に…」
「そうだな。交通事故で二人とも…あいつが仕事で日帰りで海外に飛んでる間に…、他には?」
「いいえ」
「おまえさ。なんであいつがおまえを買ったと思う?」
「え? そんなの…」
 考えたことはない。それは当たり前だ。そんなことは追及しないものだ。

 このとき、サエダが言った言葉が、後の悲劇に通ずることになる。




「あいつの子供な。生きていれば…ちょうどおまえぐらいの年頃になるんだ」




 おまえを、死んだ子供の代わりにしてるんじゃないかと思ってな。




「おーい。レンを虐めるなー」
「虐めてねー」
 戻ってきたマスターのおかげで話は途中で終わった。


 けれど…、レンの心は大きく揺れていた。




「マスター…、俺…は…」
「ん? どうした?」
「な、なんでもない!」
「?」




 悲劇は、すぐそこまで歩み寄ってきていた。









あとがき

 難しい…。
 レンが来た時期は、夏か秋ごろってことでお願いします。実はまだ一年も経ってないんです。

 ちなみにマスターさんの身長は、190センチ弱です(何食って育ったってぐらい)。ひょろ長じゃなくて、がっちり系です。
 当然ジャンバーでかいから、レンが着たら袖や肩どころか、もうスカートみたいに(笑)。
 後半の話は、あくまでもマスターの幼馴染サエダの憶測にすぎませんので注意。真実は物語の最後で分かる予定。
 サエダは、デリカシーのない奴です。マスターとは悪友に近い関係です。





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